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投稿:枚方黄金野の家 [2017年10月09日] 今日は「与える」ということについて
最近勉強したのでお話し致します。
ユダヤ教の学びにあるクイズだそうですが
「1000ドル分のお金を人のために役立てたい。
そう思う時にどのように使うのが一番有効でしょうか」
日本円で約10万円となります。
①10万円を一か所へ寄付する。
②手頃な1万円にして10人へあげる。
③もっと小さくして千円を100人へ配る。

答えは③千円を100人へ配る。です。
私は正解不正解や善悪というものは存在しないと思っており
どの方法を選択するかは個人の自由だと思うのですが
この教えの中での答えは、③となっています。
それは、「与える」という行為を
1回するよりも100回できるからです。
いやいや、千円で出来る事なんて限られる。
だから10万円くらいもらわないと意味がない。
そういった解釈もできるでしょう。
しかし、「与える」ことは、その金額に関係なく
そこにある「思い」に意味があるのです。
物の価値は人、場所、時間によって上下します。
その点でも「与える」行為を何回したかは変わりません。
ですから、一番多くの人へ「与える」行為が出来る
③が正解となるわけです。
確かに100人も現金を渡せる相手、
受け取ってくれる相手がいることは幸せなことです。
因みに、相手が欲しがっているものを与えることは、
本当の意味での「与える」にはならないそうです。
相手が欲しがるものを与える行為は、
相手が持っていない事を認める行為になるからです。
また、困っている人をむやみに助ける事も同様で、
相手が自立できない事を認め、低く見積もる行為となるのです。
ですから、このクイズの様に金額(相手が必要としている内容)
とは関係なく、ただ純粋に「与える」という行為が大切なのです。
そして、「与えることは、受け取ること」ですから
③の答えは、千円を与えただけのようで
100回も何か素晴らしいものを受け取っている事になるのですから、
本当にありがたいことです。
因みに、このようなお布施の考えを巧妙に使って
資金を集める宗教団体もあるので注意してください。
以上の様な「与える」行為は、
人間にとって自然な表現のひとつですから
私も33所巡りでお賽銭の5円玉をみなさんに配る際に
いつも気分が良くなるのはそういうことかと気づきました。
たったの5円。10人参拝して50円ですが
完全な私のポケットマネーです。
みなさんがそれを「ありがとう」と言って
気持ちよく受け取ってくれることが私はいつも清々しいのです。
そう「与えることは、受け取ること」であり、
「受け取ることは、与えること」なのです。
みなさんが5円玉を受け取って下さる度に
私は、みなさんから清々しい気持ちを与えられていたのだと気づき
これからもせっせと5円玉の両替に励みたいと思います(笑)

社長 より。